ナショナリズムに引導を 国旗・国歌なき五輪は妄想か 論説委員 小林省太
テレビですべてを見ることはできないし、人それぞれでもある。それでも、ロンドン五輪で個人的にもっとも印象に残った場面を挙げるなら、ドイツと戦ったフェンシング男子フルーレ団体の準決勝である。
残り2秒から同点に追いつき、延長で、はた目にはどちらが勝ったのか分からない勝負を制したのもドラマチックだった。しかし「銀メダル以上」が決まった瞬間、ピストというそうだが、試合場に飛び出して跳びはねるウクライナ人コーチの姿が目に焼きついた。
もちろん、スポーツの世界で日本選手を外国人が指導するのは珍しいことではない。サッカー男子のA代表やラグビーなど、いくらも例はあろう。
逆に、日本人が外国人を指導するのも当たり前になりつつある。中国のシンクロ躍進に日本人コーチの存在は欠かせなかったし、五輪の3位決定戦で日本を破ったサッカー男子の韓国代表で選手の体調、体力を管理したのも日本人だった。
オリンピック憲章によれば、選手は参加国の国籍を持っている必要がある。しかし指導者はそうでなくていい。国境を往き来し、国籍の異なる選手を鍛えることができるのである。
そうして強くなった選手を国旗と国歌で称揚し、獲得したメダルは国ごとに集計されて勝った負けた、目標に達した及ばなかったと騒ぐ。報道のあり方にも一因はあるが、不思議ではないか。一国の選手の勝利は選手だけの手柄にとどまらない。外国人コーチの手柄でもあるのだから。
オリンピックには常に「イズム(主義)」という言葉がつきまとってきた。なかでも根強いのがナショナリズムだ。日本語にするのは難しいが、オリンピックを利用して国威を発揚し、自国の結束や存在感、世界に占める地位、他国への優位性を誇示する思想といえばいいか。
それは第一に大会を開催することで、第二にはメダルを量産することで満たされてきた。ヒトラーがさんざんナチスの宣伝に利用した1936年のベルリン大会だけでない。64年の東京、88年のソウル、2008年の北京、そして冷戦期の米ソのメダル争いやそこに割り込んだ一時期の旧東ドイツ、みなナショナリズムの発露があった。
ロンドン大会では、期間中に李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領が竹島(韓国名・独島)を訪問した。ナショナリズムを刺激する行為であったことは、直後の日本戦を終えた韓国のサッカー選手が同島の領有を主張するメッセージを掲げたことが裏づけている。
幸い、大会を英国の国威発揚に結びつける演出は目立たなかった。ナショナリズムと距離を置く成熟したオリンピックのあり方だろう。
憲章はオリンピックを「個人、団体の選手間の競争であり、国家間の競争ではない」とうたっている。それ自体がオリンピズム(五輪主義)という名の主義でもあるのだが、その理念を徹底するならば、表彰式も見直さざるを得ないだろう。国旗、国歌はナショナリズムにつながる面が否定できないからだ。
もし日本という国籍、中国、韓国という国籍を取り払った選手個々人、あるいは国でなく国名を冠したチームが勝った、負けたと考えられればどうだろう。そうであれば、日本人選手と同じように外国人指導者をたたえ、他国の選手、チームの勝利に貢献した日本人を誇りに思うことにもなる。その結果、オリンピックにはびこってきたナショナリズムに引導を渡すことになるのではないか。
1970年代までオリンピズムの代名詞でもあったプロを排除する思想(アマチュアリズム)は事実上姿を消した。善しあしはともかく、オリンピックは変われるということだ。
ゆがんだ勝利至上主義の結果として蔓延(まんえん)したドーピングとの闘いは依然として続く。また、肥大化する大会をテレビ放映権料やスポンサーの協賛金が支える姿は、商業主義を制御しきれないオリンピックの現実を見せつけてもいる。
オリンピックは言ってみれば地球規模の大運動会である。グローバルの時代だ。せめてナショナリズムを克服することはできないものだろうか。
ロンドン大会が終わっても、東アジアではナショナリズムをあおる出来事が相次いで起きた。オリンピズムが空念仏であったことを満天下にさらすような話で、残念である。
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