Thứ Năm, 2 tháng 8, 2012

赤坂憲雄:東北学を提唱(NK2007/9/23)


民俗学者赤坂憲雄氏――知の方向は「寄り添う」(究める) 

2007/9/23付
日本経済新聞 朝刊
 「東北学」を提唱し、一九九九年秋に「季刊東北学」を創刊。民俗学、歴史学、考古学、文化人類学、宗教学の交流を図る「知の運動」を繰り広げてきた。
 いまは亡き歴史学の網野善彦、文化人類学の大林太良、民俗学の宮田登、比較社会学の鶴見和子などに徹底したインタビューをする一方で「いくつもの日本」と「地域学」を唱え、在野の研究者たちを育ててきた。そこから「津軽学」「盛岡学」「仙台学」「会津学」などが生まれた。
 八面六臂(ろっぴ)の活躍は雑誌「郷土研究」や「民族」を編集し、多数の研究者を育てた柳田国男をほうふつさせる。「柳田の影響はたしかにありますね。もし雑誌がなかったら、その間に自分は『東北学』の大作を書いていたでしょう。でも悔いはない。なぜなら知の地殻変動の中心にいた網野さんのような方に深く話を聞けたから」
 「僕の知の方向の軸は『寄り添う』こと」と告白する。「ムラのおばあちゃんに話を聞く時も柳田国男を読む時も徹底的に寄り添って耳を傾けようとする姿勢は同じ。批判しようとか擁護しようとか思って近づくことはない」
 大作『柳田国男の発生』三部作(小学館)もこうした姿勢で一貫する。柳田全集を深く読み込み、被差別民や漂泊民に光をあてた前期の柳田を評価し、稲作・常民・祖霊を中心とする「一国民俗学」に進んだ後期の柳田に疑問を投げかける。縄文以来の北海道・東北から奄美・沖縄の歴史・文化の重層性に目を向ける。
 今年のドゥマゴ文学賞を受賞した『岡本太郎の見た日本』(岩波書店)でも、太郎の日本紀行三部作を読み直し、「東北学」の先人ともいえる太郎を再発見した。「太郎の東北文化論は面白いと聞いていたが、実際に読み出してビックリ。太郎は京都を中心とした一つの日本に対して強烈な違和感をもっていた
 「これからは風土の旅学を展開したい」と抱負を語る。「近代の先人の紀行文を手掛かりに、その足跡をたどり、失われた歴史や民俗や景観を見つめていきたい」
文・浦田憲治
写真・藤田彰
 あかさか・のりお 民俗学者。東北芸術工科大学大学院長、同東北文化研究センター所長。一九五三年東京生まれ。東大文卒。著書に『異人論序説』『東西/南北考』『漂泊の精神史』など多数。

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