辺戸(へど)岬にて。2004年 |
辺戸岬から23キロ先の与論島(よろんとう)を遠望 与論島から北は日本、こちら側は沖縄。 間が27度線 |
2012年5月15日は、沖縄県本土復帰40周年となります。
琉球王国略史
- 1609年 琉球王国、薩摩藩の支配下に。
- 1872年(明治5年) 琉球王国、琉球藩に格下げに。(琉球処分)
- 1879年(明治12年) 琉球藩、廃藩置県により、沖縄県に。
- 1945年 沖縄戦により全島がアメリカ軍の占領下に。
- 1972年 日本に復帰。(沖縄返還)
高良勉(たからべん)
「沖縄は、明治5年、明治政府に滅ぼされました。
昭和20年、敗戦後は米国に売り渡されました。
そのあと1972年からは、日本と米国に二重支配されています。
沖縄は「返還」ではなく、「再併合」です。」
辺戸岬の”祖国復帰闘争碑”の全文 1972年
動画 【3:50】
全国のそして全世界の友人へ贈る。
吹き渡る風の音に耳を傾けよ。
権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ。
打ち寄せる波濤(はとう)の響きを聞け。
戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ。
“鉄の暴風”(※1)やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は、
米軍占領に引き続き、
1952年4月28日サンフランシスコ「平和」条約第三条により、
屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。
米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躙した。
祖国日本は海の彼方に遠く、
沖縄県民の声は空しく消えた。
われわれの闘いは蟷螂(とうろう)の斧に擬された。
しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ、
全国民に呼びかけ、全世界の人々に訴えた。
見よ、平和にたたずまう宜名真の里から、
27度線を断つ小舟は船出し、
舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。
今踏まえている土こそ、辺土区民(へどくみん)の真心によって成る沖天の大焚火の大地なのだ。
1972年5月15日、沖縄の祖国復帰は実現した。
しかし県民の平和への願いは叶えられず、
日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。
しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、
ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。
闘いをふり返り、大衆が信じ合い、
自らの力を確め合い、
決意を新たにし合うためにこそあり、
人類が永遠に生存し、
生きとし生けるものが自然の攝理の下に生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。
※1 鉄の暴風 米軍による地形が変わるほどの激しい艦砲射撃
辺戸岬(へどみさき)【画像】国頭村(くにがみそん)
普天間飛行場 【画像】沖縄県
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