Chủ Nhật, 20 tháng 5, 2012

秋山真之:日本海海戦の天才参謀

日本海海戦の天才参謀・秋山真之  http://goo.gl/VNqzN
   1905年日本海海戦  http://goo.gl/86qAD
アメリカ留学時の秋山真之  [出所]子規記念博物館
「私が1日なまけると、日本がつぶれる」:日露戦争(1904-1905)


秋山真之(さねゆき、1868年 - 1918年、49歳) は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の主人公です。

◇                    ◇                    ◇

1897年( 明治30年 )、秋山真之は日本公使館付留学生として、ワシントンに派遣されます。
29歳でした。
2年半滞在します。 

海軍戦略論の大家マハン大佐を訪れ、必読書などについて教えを請います。

秋山真之は、ワシントンで古今東西の軍事・軍略の膨大な書籍文献を読破します。

    「私が1日なまけると、日本がつぶれる」
との心境での猛勉でした。

背後には、自分が国家を背負っているという強烈な使命感がありました。

1898年米西戦争が始まります。

秋山真之は、2か月にわたり米海軍の戦いをメキシコ湾で観察する機会を得ます。
捕虜になったスペイン軍の将校からも、詳細を聴取します。

この目撃・体験を論文並みの調査報告書として残しています。

1899年には半年間にわたり米国艦隊の旗艦に乗り込み、名将サムソン長官のかたわらで、艦隊の司令術を学びます。
31歳の時です。

考えられない僥倖です。

     「私がおじけづけば、日本が潰れる。」

鬼気迫る切迫感が奇跡を生み出したようです。


◇                    ◇                    ◇

日露戦争は、5年後の1904年(明治37年)に始まります。

一身に日本を背負った秋山真之は、日本海海戦で有名な電報を打ちました。

    「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」


<今日は好天です。(出撃可能です。)
しかし、波は高いです。

(したがいまして、小型の艦艇は出撃できません。

主・力・艦・の・み・で・出・撃・し・ま・す!!)

秋山真之は、正岡子規の親友で一時は文学者を志しました。
名文、むべなるかなです。


電文
敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ聯合艦隊ハ直チニ出動、コレヲ撃滅セントス。本日天気晴朗ナレドモ浪高シ

◇                    ◇                    ◇

このころの日本の輸出品目は、

    生糸、綿織物、石炭、絹織物、銅

でした。

工業製品が何もない国でした。

世界のどの国もロシアが勝つ方にかけました。
日本が勝つと思ってた国は、ありませんでした。

◇                    ◇                    ◇

秋山真之の猛勉と体験がなかりせば、
日露戦争で、

    日本は消滅してしまっていたであろう


と言われています。


桑原政則:松山、秋山由好古、真之の生誕地にて
秋山好古・真之兄弟の生家前にて。
松山市。 2003年3月

日本海海戦 【9:38】

【cf.】
島田謹二『アメリカにおける秋山真之』
司馬遼太郎『坂の上の雲』
寺島実郎『二十世紀から何を学ぶか』

◇                    ◇                    ◇

<天国の秋山真之>

「日本は資源小国ではない。
資源は地下にではなく、
気概のある国民有志の頭脳のなかにある。」

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