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Thứ Năm, 24 tháng 5, 2012

太平洋・島サミット

【出所】外務省
★ 「第6回太平洋・島サミット」は、名護市で2012年5月25日、26日開催。略称は「島サミ」。

★ 1997年、日本の提唱で始まる。3年ごとに日本が日本国内で主催。目的は、太平洋を共有する島嶼国の共存共栄。

★ 海洋日本にとってますます重要となる地域。

★ メンバーは、日本、台湾、オーストラリア、ニュージーランドなど14の島しょ国・地域、。今回は中国からの援助が多いフィジーが欠席。

★ 米国も初。太平洋地域への進出を図る中国への対抗措置。

★ 参加国は小国だが、漁業資源や海底資源が眠る排他的経済水域(EEZ)は中国の陸地面積の2倍。

★ 日本は、ガレキや放射能を太平洋にまき散らしている。

★ 日本の外相はメンバー国訪問は1987年以降なし。フットワーク悪し。

第6回太平洋・島サミット(PALM6)
PALM 5 太平洋・島サミット(平成21年)
PALM 4 太平洋・島サミット(平成18年)
PALM 3 太平洋・島サミット(平成15年)
PALM 2 太平洋・島サミット(平成12年)
PALM 1 太平洋・島サミット(平成9年)

【追記】
海洋アジアは、日本の生命線で、ますます重要になってきます。

日本  台湾  フィリピン  インドネシア  オーストラリア  ニュージランド  太平洋諸国

平和愛好国です。

Chủ Nhật, 13 tháng 5, 2012

沖縄の「祖国復帰闘争碑」

辺戸(へど)岬にて。2004年
辺戸岬から23キロ先の与論島(よろんとう)を遠望
与論島から北は日本、こちら側は沖縄。
間が27度線




2012年5月15日は、沖縄県本土復帰40周年となります。

琉球王国略史
  • 1609年   琉球王国、薩摩藩の支配下に。
  • 1872年(明治5年) 琉球王国、琉球藩に格下げに。(琉球処分)
  • 1879年(明治12年)  琉球藩、廃藩置県により、沖縄県に。
  • 1945年 沖縄戦により全島がアメリカ軍の占領下に。
  • 1972年 日本に復帰。(沖縄返還)

高良勉(たからべん)

「沖縄は、明治5年、明治政府に滅ぼされました。
昭和20年、敗戦後は米国に売り渡されました。

そのあと1972年からは、日本と米国に二重支配されています。
沖縄は「返還」ではなく、「再併合」です。」


辺戸岬の”祖国復帰闘争碑”の全文   1972年
動画 【3:50】

全国のそして全世界の友人へ贈る。

吹き渡る風の音に耳を傾けよ。
権力に抗し復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ。

打ち寄せる波濤(はとう)の響きを聞け。
戦争を拒み平和と人間解放を闘う大衆の雄叫びだ。

“鉄の暴風”(※1)やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は、
米軍占領に引き続き、
1952年4月28日サンフランシスコ「平和」条約第三条により、
屈辱的な米国支配の鉄鎖に繋がれた。

米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躙した。
祖国日本は海の彼方に遠く、
沖縄県民の声は空しく消えた。
われわれの闘いは蟷螂(とうろう)の斧に擬された。

しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ、
全国民に呼びかけ、全世界の人々に訴えた。

見よ、平和にたたずまう宜名真の里から、
27度線を断つ小舟は船出し、
舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。

今踏まえている土こそ、辺土区民(へどくみん)の真心によって成る沖天の大焚火の大地なのだ。
1972年5月15日、沖縄の祖国復帰は実現した。

しかし県民の平和への願いは叶えられず、
日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。

しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのでもなく、
ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。

闘いをふり返り、大衆が信じ合い、
自らの力を確め合い、
決意を新たにし合うためにこそあり、
人類が永遠に生存し、
生きとし生けるものが自然の攝理の下に生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。

※1 鉄の暴風  米軍による地形が変わるほどの激しい艦砲射撃

辺戸岬(へどみさき)【画像】国頭村(くにがみそん)
普天間飛行場 【画像】沖縄県

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Thứ Bảy, 12 tháng 5, 2012

米国のハワイ侵略史

B&W photo of Queen Lili`uokalani
最後のハワイ王、リリウオカラニ女王。
アロハオエを作詞、作曲。 http://goo.gl/ASbGx
 
1898年、米西戦争に米国は勝利します。

1898年(明治31年)から米国は植民地主義に乗り出し、太平洋・アジアに進出します。

1898年(明治31年)、ハワイを併合します。
1898年(明治31年)、スペインからフィリピン、プエルトリコなどを獲得します。

◇                    ◇                    ◇

時代を少し前に戻します。

カメハメハ大王

1795年、カメハメハ大王は、ハワイ全島を統一します。
キャプテン・クックのハワイ訪問(1788年)に脅威を感じてのことでした。

1844年、ハワイは米国から独立国であることを認められます。
前列左から東伏見宮、カラカウア王

1881年、ハワイ王国の第7代国王・カラカウア王は、米国の野心に不安を感じ、日本を訪れ、ハワイ王室と日本の皇室との姻戚関係を希望します。
不調に終わります。

1893年、リリウオカラニ(Lili`uokalani)女王は、米国のハワイ公使により退位させられてしまいます。
「アロハオエ」は、リリウオカラニ作詞、作曲によるものです。
哀愁に満ちているのは、幽閉され、一国を失うときの歌であるからです。

1898年、ハワイは米国に併合されてしまいます。

「アメリカは真珠湾攻撃を非難します。
しかし、真珠湾の50年前に、クーデタで、宣戦布告なしに、ハワイ王国をほろぼしたのはアメリカです。」(ハワイ人)

<* 1872年、琉球王国は琉球藩に格下げにされます。
ハワイ、沖縄は似たような運命をたどります。 >

アメリカのフロンティアと使命感  武田邦彦
◇                    ◇                    ◇

日本は、米国のハワイ併合、フィリピン領有を、奇貨として、まねることにします。

「桂・タフト協定」を結びます。
桂太郎は、時の総理大臣です。
タフトはのちに第27代アメリカ大統領になります。

「桂・タフト協定」は、戦争も選挙もせずに領地を拡大しましょうという内容です。
時代認識のない植民帝国同士の野合でした。
  • 日本は、アメリカのハワイ併合、フィリピン領有を確認する。
  • 米国は、日本の朝鮮併合を確認する
  • 極東の平和は、日米英3国によって守られるべきである。
こうしてやすやすと、ハワイ、フィリピン、朝鮮は帝国主義米国のエジキになりました。
時は、帝国主義、弱肉強食の時代、「桂・タフト協定」に国際的に反論はありませんでした。(※1 )

日本の皇室との姻戚を望んだカラカウア王
Aloha `Oe 滅びゆく母国ハワイへの鎮魂歌。リリウオカラニ作詞、作曲


(※1 )
米国は植民地が続くと思い、列強模倣を始めました。
日本も「一等国」を目指しました。

このころすでに、民族自決、国民国家の底流は流れていました。

「国家百年の計」といいます。
日本は中国、インドと組んで、植民地のないアジアを作るほうに注力すべきでした。




Thứ Tư, 9 tháng 5, 2012

セーファ ウタキ(斎場御嶽)は、沖縄の伊勢神宮

小さな石があるだけの聖域。これが本物。世界遺産。
最高の神女・聞得大君(きこえおおきみ)の即位式もここで。
(許可をいただいて撮影。ふつうは撮影しません。)
斎場御嶽(セーファ ウタキ)の大三角形アーチ
大きなクモがいる森林は本物。
斎場御嶽(セーファ ウタキ)にて

イグアナまでも住んでる御嶽(ウタキ) 。
斎場御嶽(セーファ ウタキ)から久高島をのぞむ。2002年撮影
沖縄の国造りの神様は、アマミキヨです。

アマミキヨとは「アマからきた人」という意味です。
アマとは、「天(あま)の川」の「天」であり、また「海女(あま)」の「海」でもあります。
地平線の彼方は、天と海が渾然一体となっています。

東の海の向こうの聖地ニライカナイからあらわれて琉球をつくったとされています。

ニライカナイは海の彼方の神さまの世界です。
ニライとは「根の方」という意味です。
豊穰や幸福をもたらす神々の楽土です。
常世(とこよ)ともいいます。

人々はニライカナイから神があらわれて、しあわせをもたらすと信じています。

沖縄で東を「アガリ」、西を「イリ」とよぶのは、太陽信仰、ニライカナイと関係があります。

◇                    ◇                    ◇



大きな地図で見る

アマミキヨは久高島(くだかじま)に上陸し、斎場御嶽(セーファウタキ)に降臨します。

斎場御嶽(セーファウタキ)は、沖縄最高の聖地です。
世界遺産です。
山全体が御嶽(ウタキ)です。

御嶽(ウタキ)とは、神さまが降臨する「聖地」です。
沖縄で一番霊威が高いところです。
ヤマトの伊勢神宮にあたります。

斎場御嶽(セーファウタキ)には、鳥居もなく神殿もなく、自然のままの姿です。
神は岩や小石や木などに降り立ちます。
森林は、戦災を免れ、昔の生態系を保存しています。

足を踏み入れると、神聖で清らかな空気が身を包みます。

これが日本の神道の元の姿です。

沖縄には仏教が入リませんでした。
したがって仏教に対抗して、伊勢神宮のようにものものしく仰々しく鳥居や神殿をつくる必要がありませんでした。

ここで沖縄の人は積極的に神と感応し、神から霊気をいただきます。

沖縄人はここでは写真もとらず一木一草も持ち帰りません。

沖縄には、日本の神の昔の姿があります。

斎場御嶽(セーファウタキ) 動画あり。南城市

◇                    ◇                    ◇

ウルトラマンにはニライカナイの思想が流れています。
脚本を沖縄出身の金城哲夫が書いたからです。

◇                    ◇                    ◇

琉球民族の祖先は、九州→奄美→久高島(くだかじま)のルートをたどって、沖縄へ渡来したといわれています。