1617年、天海は久能山に埋葬されていた家康の遺骸をみずから掘り起こし、亡きがらを黄金のみこしで運ばせました。
1300人の随行者をしたがえ、常に天海がみこしによりそいました。
葬儀の導師をつとめた天海はこのとき81歳でした。
行列は、江戸城には立ち寄らず、天海が住職をしている川越の喜多院で実に4日間もの大法要(ほうよう、仏教の儀式)を営みました。
川越からは、忍(おし)、館林、佐野、鹿沼、日光へ向かいました。
一行は約20日間かけて日光へ到着しました。
神の誕生を天下に告知するための天海の周到な演出でした。
「徳川家康は東照大権現となって再び現世に帰り、神威で徳川政権を守る。」
これが、天海が構想した家康神格化のプログラムでした。
これにより泰平の江戸期が実現することになります。
葬儀の導師をつとめた天海はこのとき80を越えていました。
今に続く日光の「千人武者行列」は、久能山から日光へのこのときの行列を模したものです。
千人武者行列
家康公霊柩行列の追跡と東照宮
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