source:近代日本人の肖像 |
★ 山本五十六語録
「やって見せ
言って聞かせて
させてみせ、
褒(ほ)めてやらねば
人は動かじ」
<* 体罰なしの元祖・山本五十六>
◇ ◆ ◇
父が56歳の時に生まれました。
母も45歳でした。
◇ ◆ ◇
山本五十六(いそろく、1884 - 1943、59歳)は、1919年から2年間、アメリカのハーバード大学で学び、その後米国駐在員に任命されました。
アメリカの実力をよくわかっていました。
◇ ◆ ◇
油田、エネルギーに強い印象を受け、見学に出かけています。
後年、同じ地の田中角栄は、山本五十六の影響もあり、米国石油メジャーの傘下から日本を解き放つべく、ロシア、中東などと独自の資源外交を展開し始めました。
◇ ◆ ◇
1934年には、ロンドンで開かれた米・英・日・仏・伊5か国による「海軍軍縮会議」では日本代表になるなど、しだいに日本海軍の中枢を担うようになっていきました。
日独伊三国同盟に反対しました。
1939年に55歳で連合国艦隊司令長官に任命された山本五十六は、日本がアメリカと戦うことにはあくまで反対でした 。
しかし、連合艦隊司令長官は、現場監督のようなもので、「アメリカと戦争をする」という軍令部の指示に刃向かうことはできませんでした。
軍令部は、山本五十六を連合艦隊司令長官に任命することで、戦争の是非論に口出しできないようにしました。
山本五十六は真珠湾攻撃も指揮しました。
1943年、飛行機で前線を視察する途中に暗号を解読され、撃墜され、戦死しました。
日本軍の情報は、アメリカにつつぬけでした。
日本、日本軍の恥辱です。
このことの総括はまだなされていないようです。
責任をとった人もいません。
<* 戦争の総括もなされていません。>
農耕民族は、情報活動に重きを置きません。
上層部に見られる傾向で、組織の存続にかかわります。
* * *
★ 日本は情報軽視
日本の情報軽視は今に至っています。
西欧では諜報活動は立派な職業です。
「むかし、CIAで働いていたよ」と淡々と話すアメリカ人もいます。
サマセット・モームも諜報員でした。
エシュロン
◇ ◆ ◇
★ 常在学習 常在戦場
常在学習の時代 山本五十六は「常在戦場」とよく揮毫(きごう)しました。
越後・長岡藩に手あつい会津人
川越の軍人:川越市護国神社
* * *
連合艦隊・司令長官 山本五十六「国葬」へ
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