Chủ Nhật, 27 tháng 11, 2011

河越重頼:頼朝の重臣で、娘は義経の妻

河越氏は、秩父平氏・平良文(たいら の よしふみ)、桓武平氏の系統です。
川越に移り住み、河越を名乗り、平安時代末期から鎌倉、室町時代にかけて活躍しました。

河越氏は、伊豆に流されていた源頼朝が挙兵すると、有力な家臣となりました。

比企尼(ひきのあま)は源頼朝の乳母(うば)でした。
河越重頼の妻は、比企尼の娘で、源頼朝の子・頼家の乳母でした。
母娘2代にわたって、源家の乳母でした。

河越重頼は、源頼朝に重用され、娘は源義経の妻(郷御前 さとごぜん)になりました。

河越館に居を構えました。
河越館

後年、頼朝は、義経(1159-1189)と仲違いしました。

すると、河越重頼は、義経の縁者ということで、疑心暗鬼にかられた頼朝から、所領を没収され、命までも奪われました。

のちに河越重頼の遺族は、無実を知った頼朝から、没収された領地を返されました。

河越重頼の墓は、川越の養寿院にあります。
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1368年、河越氏は、鎌倉で力を伸ばした上杉氏と対立し、河越で挙兵し、ほろぼされます。これを平一揆(へいいっき)の乱といいます。

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