Thứ Ba, 24 tháng 4, 2012

台湾年表、李登輝年表


月 日
事   項
1544

ポルトガル人、台湾をIlha Formosa(美麗島)と命名
1624

オランダ、台湾南部を占領
1626

スペイン、基隆を占領
1642

オランダ、スペインを台湾から追放
1661

鄭成功、オランダを台湾から追放
1683

鄭氏政権崩壊
1684

台湾、清国領となる
1895

湾、清国から日本に割譲さる
1945
10-25
日本、台湾の行政権を台湾に引き渡す
1947
2-28
2.28事件おこる
1948

土地改革「三七五減租」はじまる
1948
5-10
5-20
動員戡乱時期臨時条款施行(~1991)
蒋介石、総統に就任
1949
5-20
戒厳令施行(~1987)
1950
1-5
6-25
6-27
米、台湾海峡不介入を声明
朝鮮戦争勃発
米、台湾海峡の中立化を宣言
1951
1
米国の経済援助開始(~1965)
1965
1-13
6-30
7
蒋経国、国防部長に就任
米国経済援助打ち切り
高雄加工輸出区、設立
1971
8
10-25
10-25
李登輝、蒋経国に農業問題を報告、高い評価を得る
中国、国連に復帰
台湾、国連を脱退
1972
2-21
6-1
6-2
9-29
ニクソン米大統領、訪中
蒋経国、行政院長に就任
李登輝、行政院政務委員(無任所国務大臣)に就任
日本、中国と国交正常化。日台断交。
1973

「十大建設」開始
1974
12
高砂族の中村輝夫、29年ぶりに生還
1975
4-5

4-30
蒋介石、逝去
蒋経国、国民党主席に就任
ベトナム戦争、終結
1976
10
中国の文化大革命終わる
1977
11-19
中レキ(土+歴)事件、おこる。
1978
3-21
6-9
蒋経国、総統に就任
李登輝、台北市長に就任
1979
1-1
12-10
12
米中国交正常化。台米断交
美麗島事件、おこる。
李登輝、国民党中央常務委員に就任
1980
12-25
新竹科学工業園区、操業開始
1981
12
李登輝、台湾省政府主席に就任
1984
3-22
10
李登輝、副総統に選出
江南事件、おこる。
1985
8-17
12
米レーガン大統領、台湾の民主化を勧告
蒋経国、蒋家からは後継者をださない、と公言
1986
9-28
民主進歩党、結成
1987
7-15
11-2
戒厳令、解除
中国旅行、解禁
1988
1-1
1-13
1-13
7-7
報禁(新聞新規発行禁止)、解除
蒋経国、逝去
李登輝、総統に昇格
李登輝、国民党主席に就任
この年より台湾、高所得国家、資本輸出国に
1989
1
人民団体組織法、採択
1990
2-11
3-21

国民党主流派と反主流派の対立が激化
李登輝、第8期総統に再選
各地に民進党系のケーブルテレビ民主台、誕生
1991
5-1
7-1
10-13
動員戡乱時期の終了、動員戡乱時期臨時条款の廃止
国家建設6カ年計画、開始
民進党、台湾独立を綱領に
1992
5-16
8-1
刑法第100条改正施行(思想犯、陰謀罪の廃止)
国家安全法の改正施行、ブラックリスト大幅解除、警備総司令部廃止
1993
2
8-10
8-18

11-16
12
柏村内閣総辞職、連戦内閣発足
国民党外省人・反主流派、中国新党を結成
李登輝、党主席に再選
李登輝、国民党政権も外来政権と発言
日本語放送、全面解禁
連戦、南向政策の一環としてシンガポール、マレーシア訪問
1994
1
2
3-31
4-30
5

9
12-3
連戦、中南米4カ国を歴訪
李登輝、フィリピン、インドネシア、タイの3カ国を訪問
中国浙江省で千島湖事件おこる
李登輝、司馬遼太郎と対談
李登輝、中米とアフリカ4カ国を歴訪。ハワイで入国問題おこる
李登輝の広島アジア大会主席問題おこる
民進党の陳水扁、台北市長に
1995
5-28
6-7
7-、8-
9
12
2.28事件慰霊碑落成式、李登輝が謝罪
李登輝、コーネル大を訪問
中国、台湾海域でミサイル演習
李登輝のAPEC大阪会議主席問題おこる
3期立法委員選挙で、国民党過半数を制す
1996
3-23
8

李登輝、最初の民選総統に
138局のケーブルテレビ局を認可
台湾を教える歴史教科書出版
1997
6-11

9
非国民党系の地上波テレビ局・民間全民電視台(民視)開局
中学で「認識台湾」教科はじまる
1999

7
李登輝『台湾の主張』で台湾の台湾人化を主張
李登輝「二国論」を主張



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