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1 白山権現
喜多院創建時に慈覚大師・円仁がまつる。修験場の霊場・白山より分霊。
修験とは神と仏双方の力を得るための修行。
円仁(794年 - 864年)は、延暦寺第3代座主(ざす)。
最澄の弟子で、中国で密教を学んだ最後の遣唐使。
『入唐求法巡礼行記(にっとう ぐほう じゅんれいこうき)』は、玄奘(げんじよう)の「大唐西域記」、マルコ・ポーロの「東方見聞録」ととも に、三大旅行記のひとつ。
2 天海大僧正像
徳川家康の信頼あつかった宗教顧問。家康もたびたび喜多院、川越城へ。
2代秀忠、3代家光の相談役としての大役も。
108歳までの長寿。
家康への養生訓「気は長く 勤めはかたく 色うすく 食ほそうして こころ広かれ」は有名。色とは欲のことか。
ここの説明板は、横書き、西暦、ふりがなつき、ですます調で、今後の模範。
3 明星杉
尊海が、近くの池からの光が、杉にかかり明星となるのを見て、堂を建て、星野山(せいやさん)と名付けた故事による。尊海(1253- 1332)は兵火で荒廃していた無量寿寺(喜多院、中院)を再建。
ときがわ町・慈光寺、比叡山を経て、無量寿寺住職に。
4 日枝神社
赤坂の山王日枝神社はここから分霊。≪ 赤坂の山王日枝神社 ≫
拝殿の右脇に底なし穴と言われる井戸の跡が。 この井戸にお札を納めると、龍池(りゅうち)弁財天の池に浮き出たという言い伝えが。
*喜多院関連施設
5 喜多院学寮跡
修行僧の学寮跡。ここもかつての広い境内の境界内に。
喜多院は徳川家の手厚い庇護を受けていた。
6 斎霊殿
斎霊殿(さいれいでん)は喜多院の葬儀場。裏には墓地が広がる。
製茶機の発明家・高柳謙三の墓も。
7 仙芳仙人塚
仙芳(せんぽう)仙人は、海だったこのあたりを龍神から譲り受け、今の喜多院を建立。住む所をなくした龍神には「龍池(りゅうち)弁財天」の池を提供。
仙芳仙人の仙芳がここの地名「仙波(せんば)」に。
8 本地堂跡
本地堂(薬師堂、講堂)を、上野・寛永寺の根本中堂として移築。≪ 寛永寺のページ ≫
9 三変土田稲荷神社
4世紀後半の古墳の上に建立。三変土田(さんぺんどでん)とは、仏様がけがれた国土を三度変じて浄土としたとのいわれから。
榎の木稲荷とも。
10 龍池(りゅうち)弁財天
このあたりは海に面していた。近くに小仙波貝塚がある。仙芳仙人が、喜多院の敷地入手のために、龍神に願い、海を土地に変ずる。
海がなくなった龍神は、ここの池に住むことに。
弁財天は、水に関係する神。
もともとは「弁才天」だが、「弁財天」とし財宝の神となり、七福神の中の紅一点に。
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