1616年、家康が駿府城で満73歳でなくなります。
当時の平均寿命は40歳ぐらいでしたから、長生きでした。
このとき、天海は81歳、2代秀忠は38歳、3代家光は13歳でした。
天海は、葬儀の導師となり、静岡の久能山(くのうざん)にほうむります。
家康は、自分の死に及び、病床に3人の側近をよび遺言を残しました。
天海もその1人です。
それほどまでに天海はたよりにされていました。
天海は家康の葬儀で実力を発揮します。
天海は朝廷と折衝し、家康の神名を東照大権現(とうしょうだいごんげん)にしました。
東照大権現とは、家康が「東照という神に仮になっている姿」ということです。権(ごん)とは「仮に」の意味です。
ほんとは仏様だが、いまは仮に「東の天照大神(アマテラスオオミカミ)だ」ということです。
伊勢神宮の天照大神を意識したもので、東国のアマテラスという意味です。
アマテラスは、皇室の祖先神です。
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4月17日の家康の命日は、東照宮の重要な行事となっています。
3代家光は、17日に生まれました。
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天海物語 目次
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