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Thứ Ba, 7 tháng 8, 2012

李登輝:新渡戸稲造の影響で農業経済学に進んだ台湾元総統

李登輝
アジア第一の哲人政治家といわれる李登輝が農業経済学に進んだのは、
新渡戸稲造の影響によります。

台湾人の李登輝には『「武士道」解題』(小学館)という新渡戸稲造の『武士道』についての著作があります。

李登輝は中学生の時すでに鈴木大拙を読み、『臨済録』をひもとき人生の指針としていました。
さらに『漱石全集』、阿部次郎の『三太郎の日記』、倉田百三『出家とその弟子』、『古事記』、『玉勝間』、『源氏物語』『枕草子』『平家物語』の愛読者でもありました。

高校での愛読書は、
    西田幾太郎『善の研究』、
    和辻哲郎『風土』、
    中野好夫『アラビアのロレンス』、
    アインシュタイン『物理学はいかにして生まれたか』、
    『ファウスト』、
    『若きウェルテルの悩み』
などで、岩波文庫だけで700冊以上も所有していました。

1942年8月台北高校を繰り上げ卒業し、同年10月京都大学農学部農業経済学科に入学しました。

農業経済をめざすようになったのは、農村の小地主のせがれに生まれ、早くから農業問題の矛盾に疑問を抱いていたからであり、新渡戸稲造に出会ったからでした。

新渡戸稲造は、後藤新平・民政長官の懇請により、台湾の殖産事業に参画しました。
砂糖キビの栽培改良や製糖工業の育成に務め、台湾産業発展の礎を築きました。

李登輝の卒業論文は、『台湾の農業労働問題の研究』でした。

李登輝は、日本独自の伝統を築きあげてきた明治期の大先達を高く評価しています。
奇しくも
    新渡戸稲造(岩手県)、
    西田幾多郎(石川県)、
    鈴木大拙(石川県)、
    阿部次郎(山形県)
らは、奥羽越列藩同盟の地で生まれ育っています。
台湾の境遇に共鳴しやすい環境で育ちました。

また北陸・石川県出身の八田與一(はったよいち)は、台湾の中学教科書に業績が詳しく紹介されています。
嘉南の大灌漑工事を完成させました。

李登輝前総統 靖国参拝後の講演 【2】2007年

台湾元総統・李登輝の読書歴

李登輝 フェイスブック


Thứ Ba, 24 tháng 4, 2012

台湾元総統・李登輝の読書歴

http://goo.gl/8LVFh
日本精神の理解者、体現者
李登輝(Lee Teng-hui、1923年- )は、シンガポールのリークアンユー、マレーシアのマハティールとならぶアジアの鉄人政治家です。

日本精神の理解者、体現者である李登輝の読書歴をご紹介します。

いまの日本は、このような骨太の気骨のある知識人を求めています。

<*  李登輝は、堂々と尖閣列島は日本のものであると主張しています。

◇                    ◇                    ◇

李登輝は、台湾の中学生の時すでに鈴木大拙を読み、『臨済録』(臨済の言行録)をひもとき人生の指針としていました。

さらに
     『漱石全集』、
    阿部次郎『三太郎の日記』、
    倉田百三『出家とその弟子』、
    『古事記』、
    『玉勝間』、
    『源氏物語』、
    『枕草子』、
    『平家物語』、
の愛読者でもありました。

1940年李登輝は台北高校に入学しました。
1学級40名の中に台湾人は、4~5人のみでした。

英語、ドイツ語、バイオリン、剣道をよくしました。

のちに博学、多趣味の総統といわれるのも、全教科型の勉強を続けたことによることが大きかったようです。

特に剣道で、「忍耐、正確、迅速」を体得したことがその後の人生に大きな影響を与えました。

高校時代の愛読書は、
    西田幾太郎『善の研究』、
   和辻哲郎『風土』、 
   中野好夫『アラビアのロレンス』、
   アインシュタイン『物理学はいかにして生まれたか』、
   ゲーテ『ファウスト』、
   『若きウェルテルの悩み』
などで、岩波文庫だけで700冊以上も所有していました。

もちろん中国の文学と思想に関する書も読破していた。

1942年8月台北高校を繰り上げ卒業し、同年10月京都大学農学部農業経済学科に入学しました。

農業経済をめざすようになったのは、農村の小地主のせがれに生まれ、早くから農業問題の矛盾に疑問を抱いていたからであり、また高校時代の若い日本人の先生の影響だといわれています。

京大の卒業論文は、『台湾の農業労働問題の研究』でした。

京大時代は社会主義関係の書物を読みふけリました。

『資本論』も繰り返し読みました。
ただ、ヨーロッパのマルクス主義者のアジア停滞史観には疑問を感じました。

その後も日本語の書物には目を通しており、中村雄二郎の著作はほとんど読了し、後年『哲学の現在』は中国語にみずから翻訳しました。

西田幾太郎も座右に置いています。(『朝日新聞』1999年2月17日)

「私は、いまだに一生懸命に勉強を続けているが、先に述べたように一番多く読むのが日本の書籍なのである。

それはなぜかといえば、日本には非常な深みがあり、それが本の中に集約されているからだ。

アメリカの本をもっと読んでいいと思うのだが、私はどうしても日本の本を読書の中心に据えている。」(李登輝、『台湾の主張』1999年)

左は兄、日本兵としてフィリピンで戦死。http://goo.gl/XpSWT
京大には1年2ヶ月の在籍で学徒出陣で駆り出されました。

1944年、日本で陸軍に入隊後、台湾で訓練を受けるために台湾行きの船に乗船するはずのところを仲間と共に見逃してしまいました。
その船は米軍に撃沈されました。

陸軍予備役士官教育を受けるため、再び台湾から千葉県に送られ、陸軍少尉として敗戦を迎えます。

このとき、22歳の李登輝は、他の台湾人と同様日本人から中華民国人となりました。

1946年、台湾に戻り、台湾大学農学部農業経済学科3年に編入しました。

当時の台湾は、日本の法治時代から国民党の無法時代に移ったばかりでした。

国民党軍は台湾で政権をとったばかりで、兵士や官吏の無法貪欲が横溢し、社会は混乱、治安は悪化の一途をたどっていました。

李登輝、沖縄での講演  【1:28】2008年

台湾年表、李登輝年表

李登輝と台湾の民主化 (35000字)

 <*  李登輝、リークアンユー、ともにハッカ(客家、中国のユダヤ人)です。>

Thứ Bảy, 29 tháng 10, 2011

邱永漢(きゅう・えいかん、1924―)


― 金儲けの神さま  ―

作家、経営評論家、事業主。
400冊余りの著作があります。

邱永漢は、1924年台南市に台湾人の父、日本人の母の間に生まれました。 10人兄弟の長男です。

台北高校に学び、個人雑誌も発行しました。
李登輝は同窓生です。
台北高校は、そのころほぼ日本人専用でした。

東京大学経済学部に学びました。
警察などに反政府活動でにらまれていました。

1946年台湾に戻ります。
台湾独立運動に関係し、逮捕をまぬがれるため、香港に亡命します。
香港から、日本に郵便小包で商品を送る事業で成功をおさめます。

1954年、日本に移住します。
1955年、直木賞を受賞します。

お金をべっ視している日本社会で、お金をまともにとりあげて独自の道を築きます。
日本で最初にビジネスホテルをつくりました。
大の食通で、『食 は広州に在り』などの著作があります。

1971年、台湾政府と和解し、台湾政府の要請で事業を指導します。

1980年、日本国籍を取りました。

1988年、香港に移住しました。大陸で多くの事業を営んでいます。
好奇心旺盛で、すぐ現場を見に行きます。
現在も東京、台北、中国を毎週飛び回っています。
 <*  >

中国のビジネスチャンスは、

   

にあり、とみています。

20年も前から、中国、インドの発展を予言しました。

邱永漢のページ   桑原政則

邱永漢 著作物
もしもしQさんQさんよ
やさしく世俗的な題名に特徴があります。